パール判事の日本無罪論トリビュート・ページ 序文 |
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2008年の暮れ、ぼくが描いたイラストレーションを、表面的な「和風」ではない「日本」をデザインしたTシャツをリリースし続けているブランド「昭和元禄」とのコラボレーション企画として発売する運びとなり、その第一作「姫だるま〜マトリョーシカ・Tシャツ」を発表したときのこと。 年の瀬も押し迫ってから、秋葉原で行われたTシャツ・イベントではじめてその商品が販売されている現場に立ち寄ったあと、「昭和元禄」代表を務める内野君ほか、数人の友人たちと連れ立って、九段下の靖国神社を参詣しました。 冬の陽はもう沈もうとしていた頃、数日後に初詣を控えたお社の静かな境内を過ぎて参拝。遊就館は閉まっていて拝観はできなかったので、付近を散策。 それまでも何度か訪れていた靖国神社でしたが、数年ぶりの参拝だったので、そこで実物を見てはじめてパール判事の顕彰碑が建立されていたことを思い出したのです。 いま調べてみると、その碑が建てられたのが2005年の6月。ぼくが前に訪れたのが、同じ年の7月のみたままつりのときでした。 2005年と言えば終戦から60年の節目となったこともあり、8月15日の参拝者が空前の20万5千人以上という異様な盛り上がりで、「みたままつり」も例年のお祭りの様相とはちょっとだけ違っていたのを思い出します。 そういえばその時、「宝島社の者ですが、インタビューに応えていただけませんか?」と言ってきた女性記者がいたのですが、ほとんど即座に「申し訳ありませんが、ご遠慮させてください」と、お断りしてしまった覚えがあります。 まもなく別冊宝島からは「ニッポン人なら読んでおきたい靖国神社の本」というムックが発行、翌年には文庫化もされているので、もしあのときインタビューに応じていたならぼくの発言も活字になって残ったかもしれないのですが、そのときのぼくには、戦いに貴い命をささげた数多くのみたまをお迎えしたお社の前で、わかったような顔をして能書きを垂れる気には、どうしてもなれなかったのです。 けれどぼくの中で、靖国神社とそこにおまつりされているみたまのこと、歴史認識のこと、そして日本のことについてはあれこれと思うところがあって、さまざまな思想が相対化されてしまった本の上ではなく、いつか自分自身のメディアで表現することができたら、という思いがいつもありました。 さて、2008年の冬、そんな異様な熱気がまるで夢のように思われる凛とした寒さの中で対面した顕彰碑のパール判事の肖像写真を見ながら、あらためてそこに刻まれたパール判決書の名高い結語の言葉をかみしめてみました。 時が熱狂と偏見をやわらげた暁には ラダ・ビノード・パール かたわらに設置されたパンフレットにはこのパール判事の言葉と、その意義を簡潔に格調高く綴った靖国神社の南部宮司による「頌」(オマージュ)が、表裏に日本語と英文とで印刷されています。 ラダ・ビノード・パール博士は、昭和21年(1946)年5月東京に開設された「極東國際軍事裁判所」法廷のインド代表の判事として着任され、昭和23年11月の結審・判決に至るまで、他事一切を顧みる事なく専心この裁判に関する厖大な史料の調査と分析に没頭されました。 平成17年6月25日 靖國神社 宮司 南部利昭 明けて、2009年のはじめ、「昭和元禄」内野君のブログを見てみると、ぼくらが訪れたパール判事の顕彰碑のことにも触れてありました。 パール判事の行動は、日本人ならば涙抜きに語れないね。 この人のおかげで、何万人もの英霊の方々が救われたと思う。 それだけでなく、戦後生まれの僕たちも救われたよ。 偏向報道をする大手メディアや、売国教育をする教員組合のおかげで多くの日本人は、まだ騙されているけど、知ろうとする意思があれば、イロイロなことを知る環境は整っているんだよ。 右とか左とか、正義とか悪とか、そんな小さいことではなく、暮らしを守るために散った命があったことは事実で、その事実の上に今の暮らしがあるということは、避けることの出来ない現実だからね。 パール判事へのトリビュート・イラストレーション作品を描こう、という思いがぼくの中に萌しはじめ、やがてできることならそれをTシャツというメディアにのせてみたい、と思ようになったきっかけは、そんなことからだったのです。 「靖国神社」やいわゆる「A級戦犯」といった言葉がマスコミに氾濫しても、どれだけの人が正しい知識を持っているのでしょうか?「パール判事の日本無罪論」を一冊読むことで氷解してしまう誤解と偏見にまみれてしまっているような気がしてしかたがありません。 いっしょにいた友人のひとりは靖国神社の拝殿の前で「ここって何の神様がまつられてるの?」と言いました。 もうひとりは、「東京裁判で連合国も悪かったのはわかるけど、やっぱり戦争責任はそのときの指導者がとらなくちゃならなかったんじゃない?」と言います。 そんなふうに言ってしまう彼らのことを非難するつもりはないけれど、戦勝国によるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムはいまだに、強力にぼくらを支配しているんだなあ、と思うのです。 それはもはや思想信条のレベルではなく、生活に根ざしたイメージの領域を侵犯していることを思い知らされます。 微力ではあるけれど、靖国神社の顕彰碑のように、パール判事が述べてくれた事柄をひとりでも多くの人に知らしめたい。けれどカルト宗教や教条左翼のようなかたちで思想信条をおしつけたくはない。 魅力的なデザインで、おしゃれでスタイリッシュなファッションで、それを提示することができたら。 そんな思いを込めて描いたイラストレーション作品を、「昭和元禄」ブランド側も快く商品化企画へのせてくれました。 ぜひ、多くの人にこのTシャツを着て街へ出ていただきたいと願ってやみません。 そして、ひとりでも多くの人にパール判事のメッセージが届くといいな、と思います。
【つづく】
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日本無罪Tシャツ design and produced by 稲村光男抒情画工房 × 日本Tシャツ 昭和元禄 |
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