極東国際軍事裁判とラダ・ビノード・パール判事の判決文(反対意見書)

上に掲げたイラストは、ラダ・ビノード・パール博士に捧げるトリビュート作品として描いた1枚です。

このページは、その趣旨と思想を解説するために設けました。

まずはじめに、このページをご覧になっている方のうち、どれだけの人がパール判事の名をご存知でしょうか?

あまり勉強に熱心でなかったせいか、ぼくは学校教育でパール判事の名前を教わった記憶がありません。

ここでご紹介させていただくパール判事の業績は、みんなぼくが勝手に本を読んで出逢った知識なのですが、少なくとも日本国民なら誰もが知っていなければならないことがらなのではないでしょうか?

インド出身の法学者ラダ・ビノード・パール博士(1886年〜1967年)は、いわゆるA級戦犯7名を絞首刑に処したことで知られる極東国際軍事裁判(東京裁判)の11人の判事の中でただひとり、被告全員無罪の判決文(反対意見書)を提出した人物です。

「パール判決書」として知られるその意見書はまず冒頭の第1部にて、当時の国際法で確立されているわけではなかった「平和に対する罪」「人道に対する罪」なるものが東京裁判で訴追されたことを事後法による裁き以外の何ものでもないと指摘し、「法治社会の鉄則である法の不遡及まで犯して罪刑法廷主義を踏みにじり、勝者が敗者を一方的に裁く復讐裁判に過ぎない」と、裁判そのものの根拠をも否定するものでした。

パール判事は後に国際連合国際法委員会委員長も務めた国際法学者であり、東京裁判の11人の判事の中でやはり唯一、国際法で学位をとった判事でもあったのです。

東京裁判と大東亜戦争をめぐる歴史観の評価をひとまず別にしても、パール判事の権力や政治に左右されることなく「法」と「真理」にのみ従う公平な姿勢と、国際法に対する一貫した筋の通った主張は、誰にも否定することができないものにちがいありません。

以下、パール判決書の構成は次のようなものでした。

  • 第2部・「侵略戦争とは何か」と題し多数派判決のいう侵略の定義が認められないものであるとする。
  • 第3部・「証拠及び手続きに関する規則」と題し検察側資料が伝聞証拠にすぎず司法手続きに欠陥をもたらしている事を指弾する。
  • 第4部・「全面的共同謀議」では被告が共同謀議を行ったとする立証がなされておらず、あまつさえ共同謀議があったとしてもそれは国際法に違反しない旨断ずる。
  • 第5部・「極東裁判の管轄権」に触れ盧溝橋事件以前の満州事変や満州建国にかかわる問題が極東裁判の管轄外であることを断ずる。
  • 第6部・「厳密なる意味における戦争犯罪」と表し戦時国際法に照らした犯罪は戦闘地域で起こった偶発事件であり直接の下手人はすでに断罪されており極東裁判の被告には該当しない事案であると断じた。
  • 第6部・「勧告」で全被告を無罪と主張する。

あまりにも名高い判決文の結語は、このように結ばれています。

「時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであろう。」

パール判事は、決して主観的に敗戦国日本に同情して無罪判決を下したのではありませんでした。同時にまた、道義的な戦争責任を裁いたのでもありません。その意見書は、徹頭徹尾「法の下の正義」に照らし、大東亜戦争を歴史の中に位置づけたものだったのです。

けれど、こうして堂々と展開された世に言う「日本無罪論」は、英文1212ページとなった多数派判決をも凌駕する膨大な文書として提出されながら法廷で読み上げられることもなく、ましてやGHQによって言論統制を受けていた日本人にその全貌が明かされることもなく、新聞はただ数行「インドの判事が異色の意見書を提示した」と報じただけでした。

いわゆるA級戦犯として東條英樹元首相らとともに処刑された松井石根陸軍大将の秘書を務めていた田中正明氏もまた、パール判事の判決文の内容を知ることなく、無念の思いで迎えた松井大将の密葬の夜に東京裁判の弁護団副団長であった清瀬一郎氏らから知らされて驚き、その判決書の上梓を志し、GHQの目を逃れ内密に出版準備を進め、サンフランシスコ講和条約の発効により占領解除となる昭和27年4月28日を期して全国の書店で名著「印度 パール博士述、真理の裁き・日本無罪論」の発売を成し遂げたとのことです。

その本は版を重ね続け、現在は小学館文庫「パール判事の日本無罪論」として容易に手に入るようになりました。必読の一冊です。

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さて、GHQの言論統制、それは「言論、宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立せらるべし」と条件を明示したポツダム宣言にも、「検閲は、これをしてはならない。」と定めた占領基本法にも自ら反して徹底したプレス・コードを敷き、事前検閲という巧妙なやり方で情報操作した悪質なもので、それによって日本民族の思想統制を謀る恐るべきものだったのです。

かくしてぼくらは、言論と思想が統制された異常な占領状態で矛盾に満ちた憲法さえも制定されながら、戦前こそが自由の無かった暗黒の時代で、連合国・なかでもアメリカから与えられた戦後民主主義はそこからの解放だった、という図式にすっかり洗脳されてしまいました。

そしてその「閉ざされた言語空間」ではあのでたらめな東京裁判史観が絶対のものとされ、「戦前の日本は罪悪に満ちていた」という贖罪意識を払拭できないようにするマインドコントロールが行われていたのです(これを「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」 " WAR GUILT INFORMATION PROGRAM " -略称 "WGIP"と言います)。

マスコミはそのプログラムに抗うどころかむしろ進んで追随し、占領解除後も洗脳されてしまった同胞のあいだで過去の日本に対する罪悪感はますます強まり、東京裁判に疑いをはさむような考え方は「右翼」として攻撃され、排斥され、あるいは忌避されて、日本国民は内部分裂してしまっていたのです。

そんなありさまを見て、1952年11月再来日したパール判事は述べました。

 「要するに彼等(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去 18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いがない。東京裁判の全貌が明らかにされぬ以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。歴史を明確にする時が来た。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。・・・これが諸君の子孫に負うところの義務である。」

「わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。
しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。
満州事変から大東亜戦争勃発にいたる事実の歴史を、どうかわたくしの判決文を通して充分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されてゆくのを、わたくしは見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の偽瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書きかえられねばならない。」

その義務は果たされたのでしょうか?誤った歴史は書き換えられたのでしょうか?

【つづく】


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